2011年12月24日

医療の聖地…

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これは北海道開拓の村に保存されている
「近藤医院」です。。。

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使い古した白衣が診療室の椅子にかかっています。

こんな光景を見ると
近藤先生が悪戦苦闘して患者さん方を診ていた姿が
目に浮かぶようです。。。

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一方、長崎のシーボルト邸の跡地です。

ここに来ても、
シーボルトが日本を愛し、日本に医療を残そうとした
悪戦苦闘したシーボルトの息吹を感じることができます。

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医療は…涙の中から生まれたものです。
そんな患者さんの涙を感じ、生きてきた人達の姿は
とても、貴いもの…だと感じます。

神でない人が人を助ける姿

そんな姿こそが、
医療関係者に求められる姿なのかも知れません。
posted by 杉幹雄 at 01:09 | Comment(0) | 講演用意

2011年12月23日

あ・咳の治療。。。

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たばこを吸いながら、咳をしている姿。

そんな姿は
自分の姿だったりして…(^^ゞ

タバコもお酒も…大好きな自分でぇ〜す。
Y(^^)ピース!

お酒はやめられるけど
タバコは…無理だな、きっと。。。

だから…
タバコを吸う人の気持ちも
お酒を飲む人の気持ちも
分かりますよ。
(゚_゚;)(。_。;)(゚_゚;)(。_。;)ウンウン

ここに来て
「咳が止まらない!」と来院する患者さんが
増えています。

はっきり言って…
治し切れない自分が患者さんの前にいます。。。

できるだけ考えて処方しているんだけど
治し切れないんだよな。

そんなときに…
「あ・…」とか思う自分がいます。

下半身の冷えかな???
それと
胃の部分の熱かな???

土曜日から…
咳の治療方法を変えます!

こんな感じで、少しずつ
病気に気づいていく自分なのかも知れません(×_×)



コトー先生の様に生きたい! よな。。。

自転車をこいでいる姿が
まぶしい〜〜〜よな。。。
posted by 杉幹雄 at 00:10 | Comment(0) | 講演用意

2011年12月22日

脳梗塞…とはぁ。。。

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あらぁ…脳梗塞だよね。。。
この病気って再発します。。。(×_×)

何故だと思いますか?

だって…
病気の原因は胴体にあるのに

治療は頭だけ…

しか考えられていないから…
再発して当然です。。。

頭の病気って、
即…健康に生きられるかどうか…ですよね。

(゚_゚;)(。_。;)(゚_゚;)(。_。;)ウンウン

「脳梗塞・認知症外来」を作ろうかな???
とか思います。

すべて自由診療とします。(^_-)-☆
posted by 杉幹雄 at 23:15 | Comment(0) | 講演用意

2011年12月20日

美と健康



これは…
コーラスラインというミュージカルです。。。

これが見たくて25才の時に
ひとり、ニューヨークに行きました。

ニューヨークでのミュージカルが終わるのが10時過ぎ
そんな時間に、乗るバスの待ち時間があることから、

ブロードウエイのマクドナルドで
ハンバーガーを食べていたりしました。

ちょうど、ハロウィンの日で
子供達に「trick or treat?」とか言われ
何も分からずに、何も上げませんでした(^^ゞ

お金をあげるのが本来の大人の姿だと
あとで知りました。。。

そんなニューヨークの日々、
ひとりトークンというコインを買って、
地下鉄に乗りダウンタウンにも行きました。。。

靴下には50ドル程度を入れながら、です(^^ゞ
カツ上げにあっても良いように…です。。。

と…話は戻って
このミュージカルって、綺麗だと思いませんか?

人間の身体の線の綺麗さが出ていると思います。
とても…素敵なフォーメーション・ダンスです。

健康と病気も同じことだと思います。

医療は醜さを美に変えていく技術だと思います。
三角や四角などの多角形をを丸に変える技術。

そんな技術が医療だと感じます。
posted by 杉幹雄 at 23:58 | Comment(0) | 講演用意

2011年12月06日

講演の原稿…ボツ編(^^ゞ



未来の医療とは?


はじめに

人間にとって病気とは人生を生きる上での困難であり、これを克服しようと医学を作り出してきました。しかしながら、病気を見つめる医学の視点は、それぞれの医学で異なっています。私達の住んでいる日本で行われているメジャーな医学である西洋医学と東洋医学でも、それぞれ文明の哲学感の違いから、病気への視点は大きく違っています。それらの医学の特質や違いを知ることによって、新しい医療を作ることへの手がかりを得ることが出来るのではないか?と思わざるを得ません。そのため、西洋医学と東洋医学を比較し、その長所や短所を考えた上で新しい医療への展望を考えたいと思います。

1.西洋医学(現代医学)の特徴
現代医学は西洋文明の発展と共に進歩してきました。これは西洋哲学に沿って進歩してきたと捉えることが出来ます。その西洋文明の哲学とは「自然征服主義」です。いかに自然を征服することに目的が置かれています。そのため自然に勝つために「物を作ること」を優先した文明です。別の言い方で言うと「自然と闘う文明」とも言えるのではないかと思います。

もちろん自然の一員の人間も標的です。先の太平洋戦争では日本が敗北しました。その最大の原因は、物を作れなかったことに他ならないと感じるのは私だけでしょうか。

さて現代医学に目をむけると、同じ様に物を作る技術に長けた西洋文明の上に成り立っています。現在ではコンピュータを代表とする精密機械の恩恵を受けて、その医学も進歩してきました。そんな精密機械が人間に与えてきた恩恵とは、身体を精密に計測することや体内で起きる化学変化を操作することが出来ることに他なりません。例えば、精密機械を使ってウイルスなどの微生物や異常な遺伝子を見つけ出しワクチンの開発や遺伝子操作ができる様になったことが挙げられます。 

ここで一つの疑問が浮かび上がります。人間の遺伝子を解析できるようになり、病気の時には遺伝子変化も伴うこともあることから「病気=遺伝子の変化」と考える医学研究者が増えてきたことです。果たして、このことが正しいのでしょうか? 「遺伝子操作をすることによって病気を治すことが出来るのか?」という疑問があっても良いはずです。

 

しかしながら、その正しさを盲目に信じて邁進する現代医学の姿を感じるのです。つまり現代医学の成り立の哲学である「自然征服主義」を顧みることもなしに、何の疑問もなく現代医学の潮流を信じ、現代医学を作り出している研究者の姿を感じるのです。いま医学研究者が第一にすべきことは、現代医学の根幹の考えとなっている西洋文明の哲学に目を向けることが重要に他なりません。

 
2.東洋医学の特徴

現代医学と同じ様に、東洋医学もその方向性は東洋文明の哲学に依存しています。西洋文明が「自然征服主義」であるのに反して、東洋文明は「自然順応主義」です。それは、東洋の自然の激しさを感じた先哲の人々が、「自然順応する以外にない。自然の力の前には人間の力など蚊の一刺しにも至らないだろう」との感覚によって作られた哲学なのかも知れません。


そんな哲学の上に出来た東洋医学は病気を征服しようとはしません。自然に必然性を求め、それを理解することに重きを置かれています。病気に対しても同じで、「病気への必然性を求め、それを理解し治療する」こと。それが東洋医学の基本理念です。アインシュタインが残した言葉に「神はサイコロを振らない(
I confirm God does not play dice)」というものがあります。すなわち、「世の中の出来事は必然のみであって偶然はない」という考えの上に成り立っているのが東洋医学なのかも知れません。

また、現代医学が精密機械によって発見された遺伝子の様なミクロを求めるのに対して、東洋医学は陰陽などのマクロを求める傾向にあることも大きな違いです。現代医学は遺伝子のような身体のミクロの部分をコントロールすることによって、臓器や身体などのマクロをコントロールすることを当然のこととしています。しかし、これは間違いである可能性が高く、「ミクロがすべてのマクロの運動をコントロール出来るわけでなく、マクロはマクロ的な運動を優先しているのかも知れない」という推測もできるのです。

例えば、抗生剤への耐性菌のことを考えてみましょう。細菌が身体のある一定の環境下に生息しています。その環境が細菌感染を許す環境であるから細菌が繁殖するという事実があります。その細菌感染を許容する環境をないがしろにして抗生剤を使用して次に起きうることの一つとして抗生剤の耐性菌出現の問題であると思います。つまり環境により細菌が、その遺伝子を変化させ環境に適応するという現象です。つまり、ミクロである細菌も抗生剤が使われている体内の環境…すなわちマクロ的な変化に対して自身を変化させていることになります。

現代医学がミクロ機能をコントロールしてマクロ機能をコントロールすることに対して、ミクロ感とマクロ感の相互関係を重視して作り上げられているのが東洋医学ということになるでしょう。

3.身体の生命とは?
ここで話題を変えて「身体の生命とは?」という問題を考えてみましょう。この問題も生と死を扱う医療に携わる方にとって重要だと思います。

私たちの生きている環境…すなわち、「空間の中で物体が安定している状態とは、どの様な状態なのか?」を考えることが重要です。なぜなら私達の身体は空間内に置かれ、その生命を維持しているからです。


そんな問題をより分かりやすくするように、素粒子の一つである「原子の安定性」に目を向けてみましょう。もちろん、そんな点に目を向けるのは、原子も身体も同じ空間という運動体の中に存在するという点で同じだからです。不安定な原子…すなわち水素などは不安定であるために、直ぐに他の原子と結びつき安定した化合物になろうとします。爆発的に安定化を求めようとします。一方…アルゴンやキセノンなどの安定している原子は、そのままの状態で空間に存在することが出来ます。

次に「これが私達の医療にとって何を意味するか?」を考えてみましょう。私たちの身体は原子と同じように空間上にあります。ですから、私達の身体が、水素の様に不安定ならば空間上には安定して存在できないことになります。しかしながら…不活性元素と呼ばれるアルゴンやキセノンの様に空間上に安定していられる存在できる物質もあります。そんな原子と同じように人間の身体が空間に対する安定性を持つならば…人間の身体は長く生きられるはずです。

この様な視点から導かれる「人間の死」とは…空間に対して安定して存在できなくなっている状態を意味していると言って良さそうです。と、いうことは。医学や治療の存在意味とは「空間上において人間の身体が安定して存在していられる様に身体を調節すること」にあると言って良いと思います。

ここで人間の身体の面白い構造に注目してみましょう。それは「フラクタル性」です。人間の身体は「フラクタル性」という構造の法則によって出来上がっています。そんなフラクタル構造は自然にある色々な構築物に見つけることが出来ます。例えば…木や草、海岸線や山並みなどです。初めて、こんな言葉を聞く方でも難しいことはありません…「フラクタル性=入れ子」ということに他なりません。

次に医療という視点から注目すべきことは…フラクタル性から見た人間の最大の構成要素です。人間を大きく分けるとどんな風に分けられるでしょうか? 表裏。この表裏は骨に注目するとわかりやすいと思います。つまり、表に属する身体の臓器は「皮膚・筋肉・骨など」になります。反対に、裏に属する身体の臓器は「内臓…すなわち、頭・胸部・腹部」などになります。すなわち…表・裏という2つのバランス。陰陽。加えて…「頭・胸・腹部」という3つのバランス。そんな異なる2種類のバランスを利用し、身体の安定性を維持して生きている人間の身体の有様が浮かび上がります。

そんな人間の身体に取っての安定性は、空間上において安定する力であり、人体の生命を維持する根本の力となっていると推測できます。

4.病気とは?
さて、病気という概念について考えを進めていきましょう。残念ながら現代医学の解釈に「病気という定義」はありません。学校で医療の基本を学んだ私でも、他人から教えられた経験がありません。
そんな病気の定義もない現代医学が発展してきた背景とは…、その文明(西洋文明)の物質を解析する能力を持った精密機械に依存していると言って良いかも知れません。精密機械によって「遺伝子が判明した」とか、「ウイルが認識できた」とか、「病気の代謝が分かり病変を阻止できる化学変化が分かった」とか、そんなことに依存していると思います。ただし病気という概念が生まれていない事実はそのままです。

さて…ここで皆さんに考えて頂きたいことがあります。
「病気って、どんなことなのでしょう?」

体調が悪いことでしょうか?
それでは、なぜ体調が悪いのでしょうか?
身体の代謝が変わったことが原因なのでしょうか?
そんな変化を身体に起こした原因とは何でしょうか?

それは…「人間の身体が生きることを優先し、空間上で安定していられる様に変化を起こした結果、生じた変化が病気なのでは?」と考えることもできます。空間上の安定性という現象に着目すれば…それは原子の運動と同じです。空間上に安定していられる原子は長い時間でも空間上に存在でき、反対に空間上で不安定な原子は短時間でも空間上にいることが出来ません。同じ様に、空間上に安定していられる様に不安定な身体が病気を起こして空間上で安定化を求めるのでは?という推論が成り立ちます。

5.自然治癒力と病気とは?
「身体は病気を克服する力…自然治癒力がある!」そんなことを考えている人が多いと思います。それは一般の方々だけではなく医療に携わる方も同じだと思います。

さて、人間全てが持っているとされるこの自然治癒力ですが、「自然治癒力こそが病気を起こしている原因」と考えている方がどれくらいいらっしゃるのか?と考えるとき、私は疑問に思います。それは、自然治癒力ということが病気の発症に対して重要なポイントだからに他なりません。

自然に対して病気を治して行くという自然治癒力が人体に完全に備わっているならば…人間の身体はすでに、医学を作る以前に病気は引き起こされないはずです。話すまでもなく、身体が一番大切な目的とは生命を長く保つことです。遺伝子に注目すれば、その目的に反する様に、病気を引き起こすことが、すでに身体の有益なプログラムである遺伝子に記憶されている部分もあります。そんなことに注目するとき、「自然治癒力が病気を治す」という考え方は、私にとってはとても不思議に思えたりします。

つまり、病気という現象が、私たち人間に不快な思いをさせる以上に大切な役割を持っている現象であると考えざるを得ないのは?と私は考えます。別の言葉で言えば、「人間の身体を出来るだけ安定させ、生かそうとして起こしている現象が病気である」と感じています。ですから…「この自然治癒力というものが病気を起こしている本体である!」ともいえるのではないかと考えています。

このような考え方からすれば、病気は人間に取っての敵ではなく、私たちの命を少しでも延ばそうとしてる私たちの味方として存在している。そんな新しい病気の姿が浮かび上がります。

6.ミクロの機能とマクロの機能について

西洋医学と東洋医学の違いから導き出された、身体のミクロの機能とマクロの機能…その二つの関係と役割を考えることが、正しい病気治療を考える手がかりになります。

現代医学は物質文明によって発展してきました。精密機械が作られ、その精密機械によって今まで分からなかった身体の機能が解明されています。主なものを挙げれば、身体の代謝(化学変化)や遺伝子の情報などです。そんな発見を手がかりにして、健常では見られない代謝や遺伝子を変化させ病気を治そうとする考えを持って医療は作られています。

確かに、代謝や遺伝子と言った身体のミクロの機能によって、身体のマクロ的な機能を変化させることは、ある程度できます。しかしながら、ミクロの機能をコントロールすることによって、マクロの機能を、どこまでコントロール出来るのか?という問題は未知数なのです。

例えば、地球の運動を考えて見ましょう。地球は太陽の周りを一年かけて回っています。その運動を制御するのに地球上にある運動…つまり風の流れや潮の流れを変えることによって大きく変えることが出来るでしょうか? この例では誰もが、「そんなことが出来るわけがない」と思っています。このことはごく自然の当たり前のこととして受け入れられています。

ところが人間の身体に目を向けてみると、ミクロの機能を変化させマクロの機能を変化させるのが当然できうることと考えています。果たして「人間の設計図である遺伝子を変化させれば、病気もコントロールできる」というのは正しい考えでしょうか? この部分を一度、疑ってみる必要があります。地球上での運動を変化させても、太陽の周囲を回る公転という運動を制御できないのと同じ様に、身体でもミクロ的な運動をコントロールすることで、全てのマクロ的運動を制御することが出来ないのでは?とも考えられるのです。人間は自然環境の中で進化してきました。自然環境が変われば、その変化を察知した臓器が自身の遺伝子を変えて進化してきたと言えると思います。つまり…マクロ機能がミクロ機能を制御しているということが伺われる事実です。

結論として考えてみれば、ミクロの機能だけではマクロの機能の全てはコントロール出来ず、マクロはマクロの運動を解析して運動を制御する必要があると考えられます。別の言葉で表現すれば、臓器のバランスを保つことが身体の安定性を維持することに必要不可欠であること。加えて、臓器間のアンバランス性を是正するために病気を引き押している時には、ミクロ的な機能を変えることによってマクロ的な機能を完全にコントロールすることが出来ない、という結論を得ることができます。

7.治療とは?
医療における治療とは、身体のミクロ的な機能とマクロ的な機能の連鎖を考え、また、その病気が起きた必然性を考え、その必然性をなくすことが治療になるに他なりません。

西洋医学は自然敵対主義であり、病気が悪であると考え、症状を取り除く治療に長けています。一方、東洋医学は自然順応主義であり、病気の必然性を追いかけて治そうとします。加えて、西洋医学はミクロ的な医学であり、東洋医学は身体全身に目を向けるマクロ的な医学と言って良いと思います。 とすれば、新しい医療の像とは「西洋文明と東洋文明という違った文明から生まれた相反する医学を融合させること」に他なりません。実際、この様な考えを持っている医療関係者は多いと思います。しかしながら…「異なった哲学を持つ医学をどのように融合させるか?」という問題への解決策を見つけられずにいます。

私は、この二つの異なった考えの医学を融合させる方法…それは「理論」であると考えています。
具体的には数理学や理論物理です。

東洋医学には陰陽という大きな哲学があります。この陰陽という哲学を現代医学に置いても説明できるようにするためには、身体の陰陽性、すなわち、身体の相対的な構築状態を医学関係者に示す必要があります。難しそうに聞こえますが、それは特別難しい問題ではありません。身体の構造を簡単に考えることが次へのステップになると思います。

例えば…皮膚と腸との関係を陰陽の視点で、その機能を考えてみましょう。「皮膚が表であるのに対して、腸は裏である」というのが東洋医学の常識です。この皮膚と腸ですが、口と肛門に目を向けてみると、皮膚が口腔内を通り過ぎると口の内から食道になり、それが胃に繋がり、小腸、大腸と続いて行きます。そんな腸は肛門で反転し皮膚に戻っていきます。ということは、身体は特に難しい構造をしているわけではなく、非常に簡単な構造をしていると言うことが指摘できます。つまり、皮膚と腸に注目してみれば、外側は皮膚になっているものが、内側は腸となっており、その二つの臓器は相対的な強いバランスを取っている臓器群であると指摘することが出来ます。

最後に皮膚と腸の治療を考えて行きましょう。「皮膚と腸とが相対性を持って運動している」いうことは、皮膚病が起きたときは腸の状態を考え、腸の病気が起きたときは皮膚の状態を考える必要性があることになります。相対性を維持しているわけですから、一つの臓器の相手方を考える必要があります。
また、この陰陽という考えから、当該臓器と背景臓器の関係を考えてみましょう。皮膚病の場合、皮膚の背景臓器になり得る臓器は腸ということになります。とすれば、腸の変化によって皮膚病が出てくることがありうることを示しています。結論として症状が出ている皮膚だけに注目し治療をしても、その背景臓器の変化が初期に起きた場合には、治らないということを意味しています。そんな皮膚病の場合にも腸を視点に、皮膚と腸のバランスを整えていく必要があります。 

8.終わりに
今日は、大雑把な説明に終始しましたが、また、皆さんとお目にかかる時間があったときに、また別の視点から未来の医学についてお話したいと思います。


                             すぎ内科クリニック

                                 杉 幹雄


PS:自分は「ドクターコトウ先生の様になれるかな?」と不安になります。
いつも…患者さんの悲しみを受け止められる医者でありたいです。

と…友達の言葉は「これは本だよぉ〜〜〜〜」とか(^^ゞ
書き直しなんですね。。。

posted by 杉幹雄 at 01:07 | Comment(0) | 講演用意