2015年05月30日

柴胡剤と黄連剤の運用…傷寒論を読んで

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傷寒論をひもといてみると、だなぁ。。。


まずは柴胡剤の代表の小柴胡湯を、ば。

陽明病、脇下鞕滿、不大便而嘔、舌上白胎者、可與小柴胡湯。
上焦得通、津液得下、胃氣因和、身濈然汗出而解也。


つぎは黄連剤の代表の半夏瀉心湯を、ば。

傷寒五、六日,嘔而發熱者,柴胡湯證具,而以他藥下之:
柴胡證仍在者,復與柴胡湯,此雖已下之,不為逆,必蒸蒸而振,卻發熱汗出而解;
若心下滿而鞕痛者,此為結胸也,大陷胸湯主之;
但滿而不痛者,此為痞,柴胡不中與之,宜半夏瀉心湯。

ん〜〜〜

漢文を放棄して

私立医学部に入った自分が言えることではないかも、だけど。

(×_×)


でも…この注釈、おかしい部分があるんだよね。

柴胡剤と黄連剤の区別が診察では出来ないことを

暗に示している。。。


半夏瀉心湯の条文には柴胡剤で治して…

それでも症状が変わらなかったり、結胸という咳が強くなったり

また、柴胡剤を与えても鳩尾の下のつまりが強かったりしたら…

半夏瀉心湯を使う!


とか書かれています。。。


あぁ〜〜〜

すでに2000年前には…
柴胡剤と黄連剤の区別が出来なくなっているんだよなぁ。

ん〜と、ね。

自分が診察をするときの柴胡剤と黄連剤の見分け方って
気の停滞のある場所を手がかりにしているんだよな。

肝臓に気の停滞が強ければ柴胡剤
脾臓に気の停滞が強ければ黄連剤

そんな分別をしています、よね。

小柴胡湯と半夏瀉心湯とは、左右逆の処方で、
この区別さえ2000年前に出来なくなっていたんだなぁ。

とか…傷寒論を読んでみると感じるんだよね。
なんか…少しショック。

たぶん、この2つの処方は
本来の区別が出来なかった張仲景には作れないと
考えざるを得ないよなぁ。。。


たぶん、この2つの処方は
張仲景以前の医者が作った処方だよな。

処方を選び出した張仲景は、さ。
素晴らしい〜とは思うんだど、さ。
d(^-^)ネ!


分かりやすいよね…音楽。

医療は分かり難いよね。

普通の人が真偽を確かめられる様な…
ものじゃないねぇ。。。
(゚_゚;)(。_。;)(゚_゚;)(。_。;)ウンウン
posted by 杉幹雄 at 22:59 | Comment(0) | 漢方

2015年05月23日

今の漢方医学への違和感

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こんな専門誌を見ていると
違和感が強いんだよね。。。
(゚_゚;)(。_。;)(゚_゚;)(。_。;)ウンウン

まず…漢方の歴史を、ば。

明治時代、富国強兵で西洋文明を積極的に取り入れた日本。
それは医学でも同じでした。

西洋医学と日本古来の医学である漢方医学
異なる2つの医学ができてしまう事実を前にした明治政府。

その政府が医学の重要性を評価するのに使ったのは
2つの医学の闘いでした。

「脚気相撲」と呼ばれます。

当時流行していた脚気を治すことにおいて
どちらの医学が優れているか?と
2つの医学を闘わせたことに始まります。

「脚気相撲」での治療成績が良かったのは
日本古来の医学…漢方薬でした。

でも…家宝伝来の漢方薬の配合を
公表することを拒んだ人が多かったことから

軍配は西洋医学にあがり…
以降、大学で教える医療は西洋医学だけになりました。

大正時代に入り…
日本古来の漢方医学の大切さを見抜いた先哲(和田 啓十朗先生)が
「医界之鉄槌」という本を出します。

昭和に入り、それを読んだ医師が漢方を存続させます。

その医師達とは…
明治政府が優先した西洋医学で
自分の子供を失った医者達でした。。。

湯本求真、大塚敬節。
二人ともお子さんを亡くしています。
その大きな悲しみから漢方を勉強したと言われています。

まだ保険に漢方適応がなく漢方を広めるに当たり…
大塚先生は一例報告を多く使いました。

それを知った湯本求真先生は
「そんな一例報告が正しいのか?」と言われたと言います。

「漢方医療を残すためには
 医者ではなく一般の人に分かってもらうしかありません
 その役目を果たすのが一例報告です」
そんな問答を大塚先生がされたと記されています。

「この患者さんに、この漢方薬を使ったら治りました。」
そんな一例報告を連ねた漢方の本が多く出されました。

そんな傾向は今でも続きます。
「この漢方薬を使ったら、こんな病状が治りました」と。


しかしながら時代が流れ…
今の時代に、こんな考えには違和感があります。

漢方医療が素晴らしいことは、
その根底の考え方にあります。

東洋文明の基本哲学
「自然順応主義」に根ざしている医学ということです。
特質としては、病気を敵視しないことです。
くわえて漢方でも医学なんですから、治って当然なんです。

一方の西洋医学が出来た基盤である西洋哲学。
「自然征服主義」に根ざしていて、その医学も同じです。
病気を打ちのめそうとする病気を敵視する医学です。


この2つの医学を結びつけることが困難
とされている本も目にします、が。。。

自分には全く異なると感じる2つの医学を
統一する考えは…すでに用意されている様に感じています。


医学だけの考えが全てではなく…
理論数学や理論物理を応用すれば可能なこと。

そんな光の方向を提示することが
医学系の学会の意味合い…だと思うんだけど。。。

そんなことを、思うのは自分だけなのかな?

学会としての権威を持つのなら…
それなりの仕事をして欲しいな、とは思います。
d(^-^)ネ!

他の業界も同じ様ですけど、ね。。。
(×_×)

 

医療より音楽の方が
分かりやすいよね。

医療は分かり難いよね…ホント。。。
(゚_゚;)(。_。;)(゚_゚;)(。_。;)ウンウン。
posted by 杉幹雄 at 21:18 | Comment(0) | 医学

2015年05月14日

マイケルジャクソンと張仲景…2人の天才。。。


ん〜
こんなマイケルの動画を見ると…さ。

マイケルって、天才のひとりかな?って
思うんだよね。。。

周りは全てプロのダンサー。
その中で光るリズム、ダンス。

これって、ある意味、天才だよね。

寝られなくなって
麻酔薬で寝られる位の緊張度って、
とんな緊張なんだろう??

死んでしまったけど、さぁ。
(×_×)(×_×)(×_×)

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一方…
傷寒論を書いたとされる「張仲景」

病気の並べ方…
一切の説明をなく…
実利的な部分のみを残している。

これ自体にも何かの意味があると
感じるのは、自分だけかな?
(?_?)(?_?)(?_?)


傷寒論の序文。
それは後世の人が入れた文書…とか
言われているけど、とても素敵な文章。


「而進不能愛人知人退不能愛身知己
遇災値禍身居厄地蒙蒙昧昧憃若遊魂遭哀乎趨世之士
馳競浮華不固根本忘躯狥物危若冰谷至於是也」


こんな文章から始まります。
(・-・)(。_。)(・-・)(。_。)ウンウン


進んで人を愛し人を知ることはせず。
退いては自分を愛し自分を知ることをせず。

災に逢って、その身が厄地に陥れば、
正常な神経は既になく、魂の抜けた人形の様になる。

哀しいかな現世で立派だとされている人々、
遊びやお金に狂乱し自分の身を固めようとしない。

自分自身を知らずに物に惑わされている姿。 
こんな危険な状況にいるのが自分なのに分からないでいる。


これが2000年前に作られた文章。

今は物は豊かになったかも知れないけど、さ。
何も変わってない。

今も昔も…
浅はかな人間の姿なんだよ、ね。
d(^-^)ネ!


マイケルジャクソンを見ていると
張仲景を感じるところが何とも言えんなぁ。。。
(^_^)V
posted by 杉幹雄 at 00:05 | Comment(0) | 人間…

2015年05月02日

病気に向かう必要な心…とは?

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今日は…
整体協会からの雑誌が届きました。
(・-・)(。_。)(・-・)(。_。)ウンウン

医者としても、さ。
こっちの雑誌の方が納得感が強いんだよねぇ。

医学雑誌を発行している
一部上場企業の雑誌よりは、さぁ。。。
(×_×)

(病気の実体験をしていない医者よりは
感性が鋭い医者の資格がない人の方が
全然、病気を理解している…)


病気で苦しんでいる…
その人の本当の原因はどこにあるのか?

「それは、さ。
自分を苦しめる病気を憎む心」に集約される。

でも、さ。
一般の医者は誰も教えてくれない訳。。。

このことをより理解している人って医者ではなくて
整体を広めた医者ではない先哲だったりするんだよなぁ。
(・-・)(。_。)(・-・)(。_。)ウンウン


ーーーーーー

私の見てきた人間の体というものは、
みんな健やかで、活溌であった。

年がたつ程に、
そのはたらきに対する信頼は高まった。

今の私は自分の体のはたらきに生涯を任せ、
余分に生きようとか、死にたくないとかいう考えはない。

ただ自分の体の持っている
本来のはたらきを十全に発揮して、
その生の終わる瞬間まで活溌な心身でいようと思う。

患っている中にも
怪我をしている中にも、

活溌に働いているその体を見ないで、
その体のはたらきである

痛いとか、熱が出るとかいうことを
敵のように思って気張って、苦しんでいる人を見ると、

もう少し素直に人間の生を
体のはたらきの齋らすものと見られないだろうか

と思う。

晴哉

ーーーーーー


あの、さ。
現代医学でも良い面は沢山ある。

昔は点滴なんか出来なかった。

食べられない人に点滴という手法によって
薬と水、また栄養を与えることができる。

加えて…
抗生剤という殺菌する技術だけでなく
インフルエンザウイルスの繁殖を防ぐ薬も持っている。

すごい医学だと思う。

でも、さ。
最大の欠点が、ひとつある。

それは、さ。
「病気を敵視している視点」に他ならない。

すなわち、病気を敵を見なして医学を作れば
自分たちの体が戦場となってしまうことを忘れている。

もちろん…
その治療も苦しいものになってしまう。


自分たちを苦しめる病気にも
その必要性を認めること。

それが…
未来への医学のステップになる。
(・-・)(。_。)(・-・)(。_。)ウンウン


そんな考えが日本にあるか?
あるんだよなぁ。。。

そんな考え方をすでに持っているのが日本。

東洋思想を基盤とした東洋医学が
懸命に未来の医学の方向を示しているんだよなぁ。

その様な考え方をする医師が
モダン・カンポウ…とかは言わないよなぁ。。。
(×_×)

もう…誰でも気づく時に
来ている様な気がするのは自分だけかな。
d(^-^)ネ!


病気に対しては、さ。
怖がる必要性は全くない。

病気が必要だった自分の体を理解し
実感する心。。。

それこそが病気治療に対して…
一番必要なことだったりするんだけど、なぁ。



自分たち…
全ての人は死という結末を迎える。

その死に直面したときに
正しかった…と言える人生を歩むことが
その人に取っての正解なのかも知れない。

その死が…すべての終わりなのか?
それとも、次への始まりなのか?

物から無への時代に変化していることを
感じて欲しい!よなぁ。
(・-・)(。_。)(・-・)(。_。)ウンウン


posted by 杉幹雄 at 22:25 | Comment(0) | 病気